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ディッツェルは当時、まさにデザイン界の女王でした。

フレデリシア社オーナー、トーマス・グラヴァーセンとの対談。

1955年、アンドレアス・グラヴァーセンはボーエ・モーエンセンのモダンな理念と自身の確かな経験を融合させ、フレデリシアにとって欠かせない緊密な協力関係を築いた。家業の次世代はこの実り豊かなパートナーシップを受け継ぎ、息子のトーマス・グラヴァーセンとナナ・ディッツェルによる革新的な家具デザインが、歴史的なデザイン遺産と新しいコンテンポラリー文化の架け橋となっている。

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“ 彼女は多様なデザインの専門性を取り込み、それを絶えず活用していました。アート、自然、色彩、テキスタイル、質感――。当時の伝統的な家具デザイナーにはそんな発想はなかったでしょうし、トリニダードのように装飾性の高い椅子をつくる勇気もなかったと思います。 ”

トーマス・グラヴァーセン(フレデリシア社オーナー)


フレデリシア 
1989年、ナナ・ディッツェルはボーエ・モーエンセンの後を継ぎ、フレデリシアのメインデザイナーとなりました。これはどのように実現したのでしょうか?

トーマス 私の父アンドレアス・グラヴァーセンは、数年にわたり新しい協力デザイナーを探していました。彼はナナがロンドンでの約20年を経てデンマークに戻ったことを知り、彼女と会ってデザインの製品化について話し合いました。まず1989年のimmケルン国際家具見本市で「リングチェア」を発表しました。

当時、私はフレデリシアのセールスマネージャーで、自然とナナとの対話に関わっていました。1990年に私がキャビネットメイカーズ・オータムエキシビションの会長となり、ナナも理事を務めていたことで、私たちは本当に親しくなりました。その前年、同展で彼女は「ベンチ・フォー・トゥー」を出品しており、彼女が大のお気に入りなのに製品化されていない理由を話し合いました。そこで翌1990年のケルン見本市で発表することに決めると、この印象的で彫刻的な家具を見ようと人々が当社ブースに殺到しました。こうしてナナと私はパートナーシップを結ぶことにしたのです。

翌年には「バタフライチェア」を発表しましたが、これも群を抜いて際立ち、再びナナは称賛を一身に集めました。ナナをメインデザイナーに迎えたことはフレデリシアにとってパラダイムシフトであり、クラシック家具の生産に加えて前例のない大胆なデザインにも挑戦するようになりました。

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F               ディッツェルは、どのような点で優れたデザイナーだったのでしょうか。

T               デザインに対する、領域を越えたアプローチです。芸術、自然、色彩、テキスタイル、素材の質感。ナナはさまざまな分野の知識や感性を、自分のデザインに絶えず取り入れていました。

伝統的な家具デザイナーであれば、そのような発想には至らなかったでしょう。当時、《Trinidad Chair》ほど装飾性に富んだ椅子をつくる勇気を持つ家具デザイナーも、ほかにはいなかったと思います。

また、ナナはデザインのプロセスそのものに問いを投げかけることにも長けていました。あらゆることを疑い、「できない」という答えを決して受け入れませんでした。自分の考えをきちんと言葉にして主張する人でしたし、私は彼女の審美眼とフォルムに対する感覚を、全面的に信頼していました。ナナは、よくこう言っていました。

「3歩進んで2歩下がったとしても、正しい方向へ1歩進んだことに変わりはない」この言葉は、彼女のものづくりへの姿勢をよく表しています。ナナは、その時代のデザイン・クイーンでした。それほどの存在が現れることは、極めて稀です。

 

F               ディッツェルとFredericiaが、これほどよい関係を築けたのはなぜでしょうか。

T               ナナと私は、互いにとても気が合いました。彼女のそばで、その人生観から学んだことは、私の生き方を変えるほどの経験でした。ナナは実に多くのことに挑戦し、人生に対する素晴らしい情熱を持っていました。真の意味で、世界に開かれた人だったのです。私たちには大きな年齢差がありました。当時、私は30代、彼女は70代でした。それでも、互いの人間性と、それぞれの専門性に深い敬意を抱いていました。ナナは本当に親しい友人でしたし、二人でつくりたいものが、まだいくつもありました。たとえ不可能に見えたとしても、プロセスを信じて進むこと。その勇気を、彼女は私に教えてくれました。この経験は、その後の私のデザイン協働にも大きな影響を与えています。ヴィコ・マジストレッティやジャスパー・モリソンと仕事をしたときにも、プロセスそのものを信頼する姿勢と、前へ進む勇気がありました。

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F               《Trinidad Chair》は、ディッツェルにとって最大の商業的成功を収めた作品となりました。どのようにして生まれたのでしょうか。

T               1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ナナは「線」を用いた表現を探究していました。その過程で思い起こしたのが、かつて訪れたトリニダードの風景です。現地のジンジャーブレッド様式の建築では、装飾的な木の透かし彫りを通して、光と影が美しく戯れます。ナナは、その陰影の表情を北欧の家具へ取り入れたいと考えました。旅先で受け取ったさまざまな印象をひとつに結びつけ、《Trinidad Chair》へと昇華させたのです。

ナナは、西ユトランドの企業にデンマーク初の4軸CNC加工機が導入されたという記事を読んでいました。この新しいロボット技術を用いれば、座面と背もたれに数多くのスリットを施す複雑な切削加工を、効率的に、そして商業生産として成立する方法で実現できます。彼女は技術に対して並外れた探究心を持っていました。そして、新しいテクノロジーをデザインの可能性として、積極的に取り入れる勇気があったのです。

だからこそ《Trinidad Chair》は、発表された時点ですでに、現代的な工業生産によって成り立つ市場性の高い椅子でした。発表からわずか2年後には、椅子として初めて、デンマークで最も権威あるデザイン賞のひとつ「ID Prize」を受賞します。

繊細で有機的なフォルム、優れた座り心地、確かな機能性。それらを完全な工業製品として、かつてないほど優雅に融合させたことが評価されました。発表と同時に、世界各地の個人ユーザーから大きな支持を集め、コントラクト市場でも商業的な成功を収めます。

2023年を迎えた時点でも、この椅子はほかに類を見ない存在です。その姿は、世代を越えて多くの人々に親しまれています。

F               ナナ・ディッツェルがデザインしたものの中で、あなたが最も好きな作品は何ですか。

T               《Trinidad Chair》です。非常に大きな成功を収めた椅子ですが、その魅力は成功の大きさだけではありません。技術的で工業的でありながら、快適で、詩的で、細部まで深く考え抜かれています。ナナとの協働においても、私自身の家具に携わるキャリア全体においても、《Trinidad Chair》は間違いなく、彼女にとっても私にとっても特別な作品でした。発表後、それほど時間を置かずに名作として認められました。ただし、限られた人だけのための高尚な存在になったわけではありません。とりわけデンマークの人々に広く受け入れられたことを、私はいまでも嬉しく思っています。また、有機的な造形美を持つ、ナナの数々のジュエリーデザインも大好きです。


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