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デザインと実験精神があふれる家族の住まい

ナナ・ディッツェルの娘であり、ナナ・ディッツェル・デザインスタジオのCEOでもあるデニー・ディッツェルへのインタビュー。

ナナ・ディッツェルの三人の娘の長女として生まれたデニーは、両親が自由に想像力を巡らせ、何よりも実験することを大切にした、創造性に満ちた家庭で育ちました。そこは、大胆なアイデアと、暮らしに対する新しい視点が日々生まれる場所でした。1995年から2005年まで、ナナとデニーはスタジオで数々の創作を共にしました。現在もデニーは、母が遺したデザインの思想と作品を、次の世代へと受け継いでいます。

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“ “1966年、母は自宅のリビングルームを、段差のある空間へとつくり変えました。普通に腰掛けることはできず、文字どおり横になって過ごすような部屋です。妹のひとりは、その変わったスタイルをとても気に入っていました。でも私は、どうしてほかの家と同じではいけないのだろうと思っていました。そんな私のことを、母は『少し退屈ね。ブルジョワ的だわ』と言っていました。” ”

ナナ・ディッツェルの娘であり、ナナ・ディッツェル・デザインスタジオCEOのデニー・ディッツェル

FREDERICIA            ナナ・ディッツェルの、ほかにはない魅力はどこにあったのでしょうか。

DENNIE                    ナナは驚くほど多面的な人でした。何よりの強みは、自分自身をひとつの領域に閉じ込めなかったことです。家具、テキスタイル、ジュエリー、工芸。新しい素材と手法を取り入れながら、あらゆる分野で実験を重ねていました。母は興味を持つと、徹底的に調べ、時間をかけて技術を身につける人でした。若い家具デザイナーだった頃、テキスタイルに関心を持つと、図書館で本を借り、色彩理論や織りの技法を学びました。織物工場にもたびたび足を運んでいます。同じ頃、ジュエリーデザインにも興味を持ち、その世界に深く入り込みました。金細工職人の工房で、何時間も過ごしていたそうです。母は、あらゆるものに関心を向けました。それが、必ずしも当時「ふさわしい」と考えられていたものでなくてもです。たとえばジュエリーは、機能主義が主流だった時代には、機能を持たない不要な装飾と見なされていました。だからこそ、母の関心を引いたのかもしれません。少し禁じられているものには、人を惹きつける魅力がありますから。

ナナが活動を始めた頃、この分野で活躍する女性は、まだほとんどいませんでした。教育を受け、卒業までしても、子育てを選び、キャリアは夫に委ねる女性も少なくありませんでした。

幸い、ナナの両親は当時としてはとても進歩的で、家具デザイナーになりたいという娘の夢を応援しました。両親は工芸学校で学んでいたときに出会い、仕事でも私生活でも、すぐに強い結びつきを築きました。卒業後まもなく結婚し、二人でデザインスタジオを設立しています。共通の関心と目標を持つパートナーとともに歩めたことは、ナナにとって大きな意味があったと思います。女性の居場所は家庭だという考えが、まだ根強く残る時代でしたから。

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F               インスピレーションは、どこから生まれていたのでしょうか。

D              母とは、インスピレーションとは何か、どこから生まれるのかについて、何度も話しました。

そうした会話が始まったのは、私がまだ子どもの頃です。母の作品は、なぜこのような姿をしているのだろうと、疑問を持つようになったのです。母の家具は、ポール・ケアホルムの直線的な家具をはじめ、当時を代表するほかの作品とは明らかに違っていました。ひと目でナナの作品だと分かる、とても強い個性があったのです。

特に大きな着想源となったのは、自然と建築でした。動物園で目にした動物たち。海辺で見つけた巻き貝や、さまざまな貝殻。母は、そうしたものをすべて自分の中に取り込み、凝縮し、そこから美しいと感じたものを作品に生かしていました。いわば、美的な分析です。家具デザイナーになっていなければ、おそらく彫刻家になっていただろうと、母は私に話していました。

F               ディッツェルは、実験を重ね、既成概念に挑み続けたことで知られています。家庭でも、そのような姿勢を感じることはありましたか。

D              ええ。私たち家族も、その実験をしっかり体験しました。

1966年、母は自宅のリビングルームを、段差のある空間へとつくり変えました。普通に腰掛けることはできず、文字どおり横になって過ごすような部屋です。妹のひとりは、その変わったスタイルをとても気に入っていました。でも私は、どうしてほかの家と同じではいけないのだろうと思っていました。そんな私のことを、母は「少し退屈ね。ブルジョワ的だわ」と言っていました。私は、家も母親も、ほかの家庭と同じように見えてほしいと思っていたのです。一方、妹たちは、いつもおしゃれな母を格好いいと思っていましたし、自分たちの家が雑誌や週刊誌に掲載されることも楽しんでいました。もちろん、実際はそれほど単純な話ではありませんが、私たちが母の実験と挑戦の中で暮らしていたことは確かです。

F               ディッツェルがデンマークデザインにおいて確固たる地位を築いたのは、なぜだと思いますか。

D              ナナが持っていた、並外れた行動力が大きかったと思います。考えるだけではなく、実際にものごとを動かし、実現するところまで押し進める力がありました。自分がしたいこと、自分が思い描いたことを、ためらわずに実行する人でした。形式ばった考え方を取り払い、慣習に挑むことを恐れなかったのです。

F               ナナ・ディッツェルがデザインしたものの中で、最も好きな作品は何ですか。

D              《Trisse》です。驚くほど多用途で、ひと目でそれと分かる個性があり、ほかにはない存在です。

もともとは1962年、ナナが幼稚園のための家具を依頼された際に、子ども用家具としてデザインされました。

その後も母の家には、さまざまなバリエーションの《Trisse》が、いつもいくつも置かれていました。いま私の家にあるのと同じように。《Trisse》と並んで、《Trinidad Chair》も大好きです。スリットの入った背もたれが、見る角度によって絶えず異なるパターンを生み出します。

空間の印象を決める象徴的な存在でありながら、座り心地もとても快適です。


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